さいごはおうちで

弟が右大腿類上皮肉腫という非常に稀なガンで
今月、50歳という若さで亡くなりました。
おばーちゃんが亡くなり
翌年にお父さんが亡くなり
その次の年に義父さんが亡くなり
そして今度は弟のまーくん。
4年連続で身内が亡くなってしまった。

気分転換になる事があればいんだけど
100ギガぐらい使ったよ
楽天だから無制限だし
8階なので電波がよく届きます


私が入院していた時にはなかったんだよ!
抗がん剤は中止になったので
あとは緩和ケアだけ
痛みはなくすので
心安らかにお過ごしくださいという事です


あとは自由だぁぁ!!って感じです
ほとんどむくみと水分だけど
この調子なら入院前の体重に戻りそう
腎臓、よくやった!と褒めてあげたい

それから3か月後の6/8
一番下の弟から連絡があり

でもそれまで持たないと思う
もう少し早く来られない?
声をかけるならビデオ通話して下さい

まーくんの姿を確認しました。
お別れが近い事を感じました。
まーくんのガン判明後
頻繁にLINEを送りあいました。
彼から戻ってくる返事はいつも前向きで
でも無駄に戦わない、延命処置も不要という
強い意志を感じ取りました。
私がスマホの機種変更をした時
LINEをバックアップしていなかったから
亡き父とのバトルトークや
まーくんとのやり取りはもう読めません。
私が入院していた頃に送られてきた
心優しいメッセージも読むことはできません。
あー、ただただ悲しい。
でもこれで本当に
「生きているうちにやりたい事をやる!」
と決意する事ができました。
時間は限られてるんですよ。
会いたい人には会って
行きたいところには行って
食べたいものは食べて
好きな人と好きなように過ごしたい!
だっていつ死ぬか分からないでしょ。
それは明日かもしれないし来年かもしれない。
規則正しい生活をして食事に気を付けていても
病気になる人はなるし
酒もタバコもと不摂生していても元気な人がいる。
もう子供達は独立したし
私は夫婦2人の生活をしているんだから
好きなように生きて今を楽しみ
NOストレスの生活をした方が
免疫力も上がっていんじゃないの?
節約生活も心から楽しんで
浮いたお金で旅に出たり遊びに行ったり。
この4年、義父さん以外は皆
自宅で最期を迎えました。
これは私の理想でもあります。
おばーちゃんみたいに、ガリガリ君を食べて
眠るように死んでいきたい。
弟もガリガリ君を食べたそうです。
私の時はパピコかハーゲンダッツにしてね。
意識が薄れていてもみんなの声は聞こえるから
私にたくさん話しかけてね。
連れて行ってくれてありがとう。
あとはお母さんの希望通り
お母さんの服も靴も小物も
売れるものは全部売るね。
そのお金で美味しいもの食べたり
楽しむために全部使うね。
そんな話も私には全部聞こえていて
昔の事を思い出してる。
そしていよいよ私の心臓が止まる頃
「面白かったね!楽しかったね!」
ってみんなで見送ってください。
これが私の望む理想の最期です。
火葬炉に入った弟の棺を眺めている母の背中から
言いようもない悲しみが伝わってきました。
かつては6人で住んでいた大きな家に今や母1人。
食器棚も冷蔵庫もまだ2つずつ置いてあります。
家を売ってスーパー横のマンションに引越したら?
毎日、食べるぶんだけ買えば
大きな冷蔵庫も要らないし、もうそれで良くない?
しかし、私が想うラクな暮らしを
母は望んでいない様子。
みんなそれぞれ考え方あるしね。
コメント ( 2 )
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弟さんに会えなくなるの寂しいね
生きてると寂しい事がいっぱいあるから
それ以上に楽しい事を自分で作らないとね
楽しいは作り出すことができるのだものね
わーすごい刺さる
楽しいは自分で作れるね、そうだよね!
昨日、しまなみ海道を走っての帰宅中
今月は弟の事で3回も愛媛に行ったけど
8月は仙台と山形だから楽しもうねって
すでに前向きな会話をしております
生きてるんだから楽しまなくちゃね
悲しんでばかりいてもモッタイナイ
昇給もしたしワハハを増やします